生きた社会を相手にする、産業分野の心理職への期待

産業分野の心理士として職場でのメンタルヘルス対策に取り組む慶應義塾大学総合政策学部 教授の島津明人先生。ワーク・エンゲイジメント研究の第一人者でもある島津先生に、産業分野の心理職のこれからについてインタビューを行った。

 

―― 先生と産業領域での心理学の出会いについて教えてください。

島津 大学では臨床心理学のゼミに所属していました。海上自衛隊の潜水艦救助にあたるダイバーの訓練時のストレスとパフォーマンスとの関連について実験するなど、ストレス全般を研究していました。その後、大学を卒業し会社に勤めたのですが、働く人にとってストレスが大きな問題だと身をもって体験したことがきっかけとなり、退職して大学院に進学しました。当時の指導教員のもと、働く人のメンタルヘルスの研究を開始しました。

今は、企業の産業保健スタッフ、人事担当者、EAP企業の方からさまざまな相談を受けています。ストレスチェックの実施方法やメンタルヘルス不調の予防、ワーク・エンゲイジメントの向上など多岐にわたります。

当然、企業内で心理士を雇用しているケースもごくわずかです。彼らからいろいろな相談を受けますが、心理士を採用したいという要望はなかなかありません。というのも、心理士にどのような役割を担ってもらい、どう活躍してもらえればよいか企業側にイメージが構築されていないからです。

 

―― 企業に勤める心理職はどちらの部門に所属していることが多いでしょうか。また所属する部門によって違いはありますか。

島津 企業の中で働く心理職は、産業保健部門や人事部門に配属されることが多いです。

産業保健部門で活躍してきた職種の一つは臨床心理士です。臨床心理士は基本的には精神的に不調になった個人に対応することを得意としています。もちろん不調の予防や集団に対するアプローチに関わる方もいますが、心理職にかぎらず産業保健スタッフに共通しているのは、臨床の側面から個人を支える仕事を行う点です。

一方、人事部門の心理職は集団を見ていきます。個人よりも組織のマネジメントやキャリア形成に携わる。こちらの学問的背景は、「臨床心理学」よりも「産業・組織心理学」となります。

産業保健部門で独立した組織となっている企業は少なく、人事部門に所属していることが多いです。会社の仕組みや制度によって、心理職の働き方は変わります。個人と同時に、組織に対するアプローチを行っている方も多いかと思います。

 

―― 産業分野の心理職にはどういった役割が求められていますか。またそのニーズを満たす教育は、現在の大学・大学院のカリキュラムで十分に学ぶことはできますか。

島津 産業分野の心理職では、研究と実践の両方を担える人材が必要です。たとえばストレスチェック後の対応では、個人の面接だけでなくデータを解析できるスキルが求められます。解析したデータを職場に戻し、場合によっては経営層などに提案することもあります。

そのためには大学・大学院でのカリキュラムをさらに整備しなければなりません。多くの大学では、健康と産業組織をともに扱う科目は設置されていません。海外では「occupational health psychology(産業保健心理学)」の領域がすでに確立しています。このような科目が公認心理師の養成カリキュラムに入ると、個人と組織の両方を見ることができ、ストレスといったネガティブな問題と、パフォーマンスや動機づけの向上といったポジティブな側面の双方に関わる人材を育成できるでしょう。また、健康経営や働き方改革といった政策にも関与できる人が育つと期待しています。

卒前・卒後研修も必須です。世の中は刻一刻と変化するので、常にブラッシュアップしなければなりません。

卒前研修は大学・大学院が担うとして、卒後研修は学会や職能団体が受け皿となる必要があるでしょう。日本臨床心理士会では産業組織領域委員会が継続的な研修を行っており、各都道府県の心理士会も独自の研修を開催しています。

最近では、産業関連の学会への心理士の参加が増えてきました。日本産業ストレス学会では心理職委員会が立ち上がり、産業精神保健学会にも心理職部会があります。

 

―― 企業での雇用を増やすために心理職は何を示す必要がありますか。

島津 働く人の健康を守り、やりがいを高めるには産業保健スタッフだけでは全く力が足りません。経営者の理解と協力が不可欠です。

これまで、「メンタルヘルス不調は経営にデメリットをもたらす」というネガティブなメッセージでメンタルヘルス対策の必要性を経営者に訴えてきました。しかし、これでは経営者にはあまり響かないことが分かってきました。

メンタルヘルス状態が良好で、皆が活き活きと働くとどんな良いことが起こるのか。それを示さないと経営者は「じゃあやってみよう」とはならないのです。経営とパフォーマンスの両方に良い影響を及ぼす概念として「ワーク・エンゲイジメント」があります。ワーク・エンゲイジメントを高めて働くにはどうすればよいか。その研究を続けています。

これまでは、「アブセンティズム(absenteeism)」といって、会社を休むことによる損失に焦点があたっていましたが、注目されているのは「プレゼンティズム(presenteeism)」です。これは、出社はしているものの健康が十分でないためにパフォーマンスが悪い状態です。これによる損失が意外と大きいことが明らかになってきています。

今後は、さらに一歩進んで、健康状態が向上すると職場にどのような良い効果をもたらすのかがテーマとなってくるでしょう。現在、心理学・経済学の先生と研究を進めています。

産業分野ではデータの蓄積が必要です。そのため統計学をしっかりと学んでおいてください。経営層に意見を出したり、政策に提案したりするうえでデータは欠かせません。

また、心理職の採用には経営層の理解が必要です。休職率の低下、それにともなう経済的なコスト、やりがいを増やすことでどんな効果があるかをデータで定量的に明らかにしていく。このためにも統計学の知識が必要です。

 

―― 産業領域では、やはりネガティブ心理学よりもポジティブ心理学の考えがメインでしょうか。

島津 車の両輪だと思います。ネガティブ心理学とポジティブ心理学のどちらもなくてはなりません。ポジティブ心理学やネガティブ心理学はいわゆる造語で、本来はニュートラルであるべき。ポジティブな感情、ネガティブな感情の両方があって健康だという考えがもっと浸透してほしいですね。

ポジティブ心理学は、気分や感情の状態がポジティブであるだけではありません。さらに掘り下げると、その人の強みやその人らしさをいかに引き出すか、にたどり着きます。

これは、治療と仕事の両立支援にも当てはまります。あるがんサバイバーの話です。本人は職場に復帰してこれまで通りに働きたいと思っている。しかし、上司は気を遣って仕事を回してくれない。本人の思いと周囲の気遣いにギャップが生じ、本人は職場から必要とされていないと悩みを抱えていました。

病気や障がいがあっても、その人らしく働くことにポジティブ心理学の知見を生かしてもらいたい思いますし、こういった方のメンタルサポートや周囲との関係調整に心理士の力を役立ててほしいと考えます。

 

―― これから公認心理師にどのようなことを期待されますか。

島津 社会と接点をもって働いてほしいですね。相談室の中にこもっていては、活動はできません。多職種との連携は楽しみでもあります。産業分野では、人事担当者などさまざまな方とかかわるため、刺激も多く興味は尽きません。クライエントも、すでに不調をきたした人だけでなく、健康な方も対象となります。

産業保健心理学は生きた社会を相手にする、非常に面白い分野だと思います。

公認心理師という心理の専門家として活躍するには、相手に対して自信をもって接することができるかが大切です。専門職の視点から、相手への支援をどう引き出すか。やはり専門性を高めていくことが重要ですね。

 

(インタビュー・文/こころJOB編集室)


島津明人 Akihito Shimazu
慶應義塾大学総合政策学部 教授

活き活きと働く概念として「ワーク・エンゲイジメント」に注目し、さまざまな職場の環境改善に取り組む。2020年12月4・5日に開催される第28回日本産業ストレス学会では会長を務める(学会ホームページはこちら)。

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